尊者マードレ・ルクレッツィア・ジレリ
マードレ・ルクレツィア・ジレリは1839年8月1日、ジュリオ・ジレリ伯爵を父親としてイタリアのパルマで誕生しました。少女時代に聖ウルスラ学院に学び、熱心な信仰生活を送ったのち、19歳で聖心のウルスラ修道会に入会しました。彼女の非凡な才知と公正な判断力、そして強い意志力は、修道生活において大きな働きとなり、また、気高くおおらかな心と恵まれた能力を尽くして人々の魂の救いと神の栄光のために献身しました。長きにわたって会員たちに様々な勧告を書き残し、困難な時代にあって会を刷新に導き、模範を残しながら1923年8月3日に帰天しました。マードレの限りない徳と行いは、死後も忘れられることなく、教会は彼女を尊者として認め、1991年12月21日に公式に発表されました。彼女のお墓は、パルマの修道院にあります。
マードレ・ルクレッツィア・ジレリの列福を求める祈り
いつくしみ深い神よ、
あなたは生涯かわることのない愛と忠実のうちに
あなたに仕えた神のはしため
マードレ・ルクレッツィア・ジレリを
お恵みの輝かしいしるしとしてくださいました。
わたしたちが願い求める( )のお恵みを
彼女の取次によって与え、1日も早く
マードレ・ルクレッツィア・ジレリを
福者と仰ぐ喜びを得させてください。
わたしたちも彼女の模範に倣い
あなたの栄光と人々の救いのための
よき働き手となることができますように。
わたしたちの主、イエス・キリストによって。
アーメン
1992.2.1 福岡司教認可
マードレ・マリア・
ア ニェーゼ・シェ
現在列福調査中
マードレ・アニェーゼ・シェは1913年に中国の江蘇省の揚州で生まれました。異教徒だった彼女は、16歳の時にウルスラ会の学校に入学したことでキリスト教と出会い、洗礼に導かれました。少女のころは気難しく反抗的な性格をしていた彼女でしたが、やがてそれは信仰に育まれた固い意志力と恵まれた統率力へと姿を変え、ウルスラ会への入会へと至ります。会の宣教女らが中国から政治的な理由で追放された後は、中国の養成の責任者となり、政府の圧力にも毅然と立ち向かいました。しかし1958年共産党員により逮捕され、強制収容所に送られ、その二年後に病気の悪化のため獄死しました。
マードレ・アニェーゼ・シェの言葉
ー私は私の持っているすべてのものを、わたしの心を差し上げたいと思います。わたしの熱心さ、私の力、そして私が習得したすべてを差し上げますー
―わたしにとって殉教以外には、聖人になる道は残されていません―
ー背教者の修道女になる危険を冒すよりも、貧しい生活をする方を選びますー
ー私たちが教会と本会に対して、死に至るまで忠実であるようにお祈りくださいー
ーわたしはここ(収容所)で、わたしの命を犠牲としてよろこんでお捧げしますー